災害時においても母乳育児を

母乳育児仲間からコピペさせていただきます。

被災されたみなさまにお見舞いを申し上げます。

乳幼児を抱えて避難されたお母さんも多いと思い、
母乳育児を続けることの大切さ、諦める必要はないことをお伝えしたく、
目に留まるかはわかりませんが、記事にアップします。


★★★地震や水害にあった母乳育児中のお母さんへ★★★


○母乳育児中のお母さんは母乳育児を続けましょう
 
このような状況で母乳育児を続けることはとても重要です。
母乳育児は赤ちゃんの命を救います。
母乳育児は完全無欠の栄養を赤ちゃんに与えます。
さらに、母乳の中の感染防御因子が、非常事態で流行する可能性のある下痢や呼吸器感染から赤ちゃんを守ります。
一方、安全な水や、お湯を沸かす燃料のない場所での人工乳の使用は、栄養不良、疾病、乳児死亡のリスクを高めます。
母乳育児を続けることで、お母さんも子どもも慰められ、心の支えが得られます。


○ストレスで母乳が干上がることはありません!
 
極度のストレスや恐怖で一時的に母乳の出が悪くなることはあっても、それは一過性のものです。
母乳育児をすると、お母さんも子どもも落ち着き、
実際に緊張が和らぐようなホルモンがつくられるという医学的根拠が証明されつつあります。
一時的に出が悪くなっても、赤ちゃんが欲しがるたびに欲しがるだけあげているとまた母乳は出てくるようになります。


○栄養状態のよくないお母さんの母乳にも、完全な栄養が含まれています!

母乳の栄養はいつでも完全です。
お母さんが深刻な栄養失調にかかったときのみ、母乳の量が減ります。
とはいえ、災害時は授乳中のお母さんが十分な栄養をとれるよう、人工乳の配給よりも、
お母さんのための食べ物や飲み物を優先的に確保するようにしましょう。
お母さん自身が少しでも体を休めてリラックスし、きちんと食べて十分な水分を取るように気をつければ、
母乳の出をよくすることができます。


○下痢の赤ちゃんでも母乳は続けられます!
 
母乳の中には免疫が含まれています。
母乳で育てられていて、極度に下痢をしている赤ちゃんで、脱水症状がある場合は、医療を受ける必要があります。
その場合も、母乳育児はやめたり減らしたりするべきではありません。
非常事態では水が汚染されることが多く、哺乳びんやおしゃぶりも汚染されていることが多いので、注意が必要です。
母乳だけで育っている赤ちゃんにおしゃぶりは必要ありません。


○一度は母乳育児をあきらめた人も、必ず再開できます!
 
母乳復帰の方法を用いれば、お母さんが母乳育児を再開することは可能です。
母乳復帰をすれば、非常事態において、生命を救う栄養と免疫面での恩恵が得られます。
これまで混合で、人工乳をたくさん飲ませていたお母さんも、
授乳の回数を増やし、赤ちゃんに何度も吸ってもらうようにすれば、母乳の量を増やすことができま、母乳の量を増やすことができます。


○母乳が足りないのではないかと思ったら、便や尿を確認しましょう
 
月満ちて生まれた健康な赤ちゃんは、生後3,4日ころから1日に6−8回の尿をします。
(紙おむつなら5−6枚)。
生後6−8週間くらいまでは、1日に3−5回の便がでます。
欲しがるだけ欲しがるたびに乳房を含ませましょう。
新生児は1日8ー12回飲むのが平均ですが、もっと飲む赤ちゃんもいます。
赤ちゃんが欲しがるたびに授乳できていて、赤ちゃんの肌の色つやがよく手足をよく動かしていて、
いつものように便や尿が出ていれば大丈夫です。


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2004年10月30日作成:
■■災害時の母と子の育児支援 共同特別委員会■■
   ★日本ラクテーション・コンサルタント協会 (JALC)
   ★ラ・レーチェ・リーグ(LLL)日本
   ★母乳育児支援ネットワーク日本(BSNJapan)
●なお、日本ラクテーション・コンサルタント協会とラ・レーチェリーグ日本では、
被災された方のために無料で母乳育児相談に乗っています。

■■問い合わせ■■
(援助者向き):contact@jalc-net.jp(日本ラクテーション・コンサルタント協会)
(被災されたお母さん専用):hisai_support@llljapan.com(ラ・レーチェ・リーグ日本)

参考資料:
WABA:「グローバル化」時代の母乳育児 2003年
BFHIニュース、ユニセフ 1999年9月/10月
WHO/ユニセフ「乳幼児の栄養に関する世界的な戦略」2003年(2004年訳)ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル「月満ちて生まれた健康な母乳育ちの赤ちゃんが、母乳がたりているかどうかを見分ける方法」(2003年改訳)

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今の時代でよかったこと

それはもう久しぶりの更新です。

というのも。

なんかえらく強烈な書き込みを読んでしまって、げんなりしちゃって、ここで吐き出そうと・・・

私はかわいい二卵性の双子のむすめを授かったけど、

これ、本当に今の時代でよかったなあと思ったのだった。

昔なら、私のじいちゃんばあちゃんの時代なら、

今からなかなか想像が難しいような偏見が「双子」にはあったみたいなので。

それもえらく意味のない、ほんと迷信というか、なんというか・・・・

あー気持ち悪い。

どんな内容の書き込みをどこの掲示板で見たのかは書かないけれど、

 だってもうあまりにも気持ち悪くて吐きそう~、腹も立つし、なんか怖いし、

堂々と、そんな迷信に傷つけられることの少ない今の時代の双子でよかった!!

今の時代、って、難しいこと、がっかりしちゃうこといっぱいなんだけど、

女性がその昔より、本来の価値を認められやすい時代であることは確かだし。

いやーよかったよかった。

本当にあの書き込みは怖かった。

そしてそんな体験をした、書き込みした人の心中を思うと切なくて胸が痛い。

本当に胸が痛い。

もちろん・・・今の時代だって、えらく無神経なことを双子の母に投げかける人はいる。

何か治療してたの?という質問とか。定番だけど。

私はこの質問には冷静に、あんまり引っかからずに答えられるけど、

いやに感じている人はたくさんいる。

年子よりラクよ。 だの

一度に済んでいいわね。 だの

二人でお母さん取りっこになるんだね。だの

言われたほうの身になって見ろってんだ。

双子の母乳育児だって、まず大抵は「二人分は足りないわよね」と当たり前に言われる。

私自身は粉ミルクも使っているから、うそではないけど、

母乳の本当のことを知らない人が多すぎ。

「双子で母乳ならまず枯渇するんだから」なんか思い出したらムカついてきた。

確かに双子の母乳育児は大変だし努力も必要だし、お母さんのおかれた環境も大きく左右すると思うよ。

でも、可能性というか、原則というかさ・・・

知らなさ過ぎなんだよ!!!!

と吠えてやりたい!!!

話がだいぶそれた。

でも、今の時代でよかったのだ。本とにね。

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授乳の傷に

アクセス解析してみたら、このブログに母乳育児中に出来た傷のことを検索してきてくださった方がいらっしゃることがわかりました。

ちょうど、昨日は地元の仲間と母乳育児の会を開いたところでもあったので、

そして、思わぬ上位に自分のブログがヒットしててビビッタのもあり、

分かる範囲で授乳の傷について書いてみようと思います。

私自身、息子が生後7ヶ月までミルクと母乳の混合栄養で育児をしていました。

「どうしても母乳じゃなくちゃ」という、強迫観念にも似た思いを抱えながら、

母乳育児にこだわって続けてきて、

息子が2歳すぎまで昼間も授乳は続いていたでしょうか?

だんだんと昼間は飲まなくなり(部分的卒乳かな?)夜寝るときだけ授乳。

それも2歳7ヶ月?8ヶ月?9ヶ月?いつが最後だったかわからない状態で卒乳でした。

今は、自分自身も振り返ったり、他のお母さんと本音を話せる場を持ちたくて、

地元のお母さん仲間と月に一度、母乳育児についていろいろとおしゃべりして、

話を聞きあう会を設けています。

その中でも、何度も「噛まれた~ ><」「傷になっちゃって~」という話が出ています!

痛いです!思い出しても背中がぞぞっとする痛さです!!

*********

授乳中に乳首の付け根に傷が出来るのは良くあることと思います。

私もかなりびくびくしていた覚えがあります。

原因はさまざま・・・・

歯が生えてきて、何か噛みたい赤ちゃんが「かぷっ」としてしまう場合

夜、添い乳で寝かしつけていて、赤ちゃんが眠りに落ちる寸前に、乳首をくわえている口が横に「い」の発音をするときのような形になって、「かちっ」とやられてしまう場合

お母さんの母乳の味が何らかの原因で変わった場合

お母さん、赤ちゃんのいずれかに もしくはいずれにも 気持ち的、環境などに変化があった場合

信じがたいことかもしれないけれど、赤ちゃんが母乳を飲むことについて何か不安を感じている場合

などなどなどなど、赤ちゃんがお母さんのおっぱいを噛んでしまうのにはさまざまな原因があります。

遊んでて、っていうのもありますね。

他に、うまく深く赤ちゃんが乳首をくわえ込めてない場合、浅飲みの場合にも傷が出来てしまったりすることも・・・

傷が出来たら

母乳をちょちょっと塗りつけてラップでカバー、保湿☆

ランシノーと呼ばれる羊の油を使った良質な油を塗って授乳を続ける

昨日の会では今まで聴いたことのない技を聞きました!

それは、口内炎に使われるケナログという薬を塗る という方法です。

そうだよね、口内につかえるんだものね、と目からうろこでした。

このような方法で乗り切ったお母さんもいらっしゃったのでした。

ユキノシタという植物の葉っぱの裏側の、薄い皮をはがして患部に貼って、

炎症を抑えた、というお話も聞けました。

すごい!

病院に行って直したことがないのですが、母乳外来などがあれば助けを求めるのも良い考えですよね、プロがいる場所だしね。

お母さんの母乳の味が変わった場合。

食べ物が原因かな?疲れかな?それとも生理が再開したかな?

原因が分かれば、赤ちゃんにもそのことをお話したいです。

お母さんの言うことをちゃんと聞いていますから(^^)

「ごめんね~ またおいしいおっぱいになるから、飲んでね~」とお願いしてみると飲んでくれたりすることもあるのです。

そしてお母さんが疲れていたら、できる範囲で、とにかく休む休む休む!

もしも赤ちゃんが母乳を飲むことを不安に思うような出来事が何かあった場合

そんなことに思い当たって、これからも授乳を続けていかれる場合は、

赤ちゃんに「安心して飲んでいいんだよ」といってあげると、きっと気持ちも伝わりますよね。

お母さんが何か不安や悩み、ショックを感じていたら、

安心できる人に話して、そのもやもやを手放すとお母さんもきっと楽になると思います。

傷が出来ても、なるべく両方の乳房から授乳したほうがいいように思われます。

片方だけだと、飲ませていない側がさらなるトラブルを併発してしまったり・・・

授乳しないとかつんかつんに張ってしまったりもしますので。

傷ができる→飲ませる頻度が減って張る→詰まる なんてことも・・・

もしも張ってきたらお風呂でリラックスしながら体を温めて授乳するのもよいですね。

********

私はただの母親で、助産師さんでも看護師さんでもその他専門家でもないので、

自分の経験と、いままでお話を聞かせてもらってきたほかのお母さんの経験談からの情報しか持ち合わせていません。

自分でケアできる範囲を超えたと思われた場合などは迷わず医療機関や助産師さんに見ていただくことは必要だと思います!

傷などの授乳トラブルも経験していくうちに「こりゃやばい」という気配が察知できるようになったりもしますので、

早めに休息を取るとか、傷が浅いうちに母乳塗りつけちゃうとか、そういう手が取れますね。

もしも授乳関係のキーワードでこのブログに来てくださった方がいたとして、

少しでも気持ちが楽になり、痛みが軽くなったら本当にうれしいです。

お母さんからお母さんへの「わたしはこうだったわよ~」 口コミ経験談でした。

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できないことだから、できるようになる

先日の「できないことだから」の続きみたいな感じだけど。

公園なんかで子供同士がもの取り合ったり、自分とこの子がほかの子をたたいたり
突き飛ばしたり、なんて、ほんとによくあることだ。

すぐに親が介入して、「ほら、謝りなさい」っていうのはどうかなあ、とか。
子供同士のトラブルに大人が顔突っ込んで、
貸してあげなさい、とか、
取っちゃだめよ、とか、

そういうの言わないほうがいいんじゃない?
見守ったほうが、子供のためなんじゃない?

いやーまったく持ってそのとおりだと思う。
そうしたいなあと思って、そうするようにしてきた。

でもさあ、
ぶっちゃけた話、

無理だよ!!!

めちゃくちゃ体力があって、すっごい活発で、元気いっぱいで、
自己主張強くて、まだまだ自分自身で抑えられない2,3歳の小さい人たちって、
いっっっっっぱいいる。

そう人たちのお母さんが、自分とこの子がほかの子を突き飛ばしたり、
押したりたたいたりしてるのを見たら、
やっぱりいたたまれないよ。
「ちょっと待った!!!」
「突き飛ばしたらいけないよ」
って言いたくなるのって、本当に自然な気持ちじゃないだろうか。

相手のことのお母さんの気持ちが心配。
自分の子がどうこう思われるのと同時に、「このお母さん何も謝らないの?」って思われるのが怖い。

そういう気持ちを、感じたって、仕方ないって言うか、すごくありえる事だって、感じる。

子供を遊ばせに公園に行くけれど、
母自身のために公園に行くって言うのだって、ある面では真実なんだと思う。
だって居場所がないものね。
立派なコミュニケーションの場で、居場所になってるのが、現実。

とにかくトラブルになったらいけないって考えてるお母さんは、多い。
そう考えるようになってしまった、そういう育ちの背景もある。

 子育てを始めて、自分がどれだけ我慢してきたか、
 失敗経験をある意味させてもらうチャンスを取り除かれて育てられてきたか、

そういうことに気づきながら、少しずつ、見守れるようになっていくんだと思う。

性格的に、物分りが良かったり、早くに言葉のやり取りがしやすくなっていたり、
おとなしい子のお母さんには、理解できないところもあると思う。

私の息子は、そんなに弾けたように活発、とまでは行かないけど、
それなりにやんちゃで活発で、自己主張する人だから、
それの上を行く子のお母さんの気持ちを想像することはできる。

子供に何をどう伝えるかって言うのと同時に、
子供のしたことで謝るか謝らないかとか、
母自身も成長するチャンスというか、学ぶ課題に出会っているっていうことなんだと思う。

なんでもかんでも口出ししてたら、子供が人間関係のトラブルを解決できないまま成長してしまう。
その基礎の基礎を知って身に着けるのが公園だったりまあ幼稚園だったり保育園だったり、するんだろうけど。

見守ることの重要さ(しかも楽ちんさ。)を、
私は、自分自身が実感して、少しずつ体得していければいいと思う。

それに、気持ちが通じないからって、叩いて良いってことではないし。
叩いても気持ちは伝わらない、とか(まあそれで伝わる世界が子供の世界だけれど)。
わからないなりに、何度も何度も伝えていく必要もあると思う。
それを頭ごなしに理由も伝えず「謝りなさい!!」では、意味なしとは思う。

で、やっぱり、小さい人たちの気持ちを代弁するという方法は、使えるように感じる。

相手の物を無理やりとって、相手が泣いてたら「どうしたかったの?」とか。

どうやら相手のお母さんはトラブルは避けたいと思っていそうなら、
自分のところのお子さんに「だめよ~謝りなさい」な感じなら、
たたきあいのけんかになってる最中に、「どうしたの?」の声かけも、ありだとおもう。

母同士が親しくて、信頼できる関係の場合に、
たたきあいでも放って置けたことがあった。
叩き合ってけんかしてても、どっちかが泣いてても、
結局どうにかして収束して行ったのだ。
途中、少し母が「○○ちゃん、泣いてるよ?」って声かけたりはあったけど、
それをきっかけに何とか収束していった。
力の強さや、譲らない度合いで主導権は決まっていくけど、
それがとりあえずのところの自然な流れだったのかもしれない。

理想は、子供同士も対等な立場でどっちが有利とかなしに遊んで欲しいけど、
それはお互いさまなので、
そのときに主導権握ってる子も、いつかはがつんとやられる時がくるだろうし。

いつまでも壁にぶつからない人はいない、
いつまでも壁にぶつからない子育てもない、
どっかで本気で向き合わざるを得ない日が来るんじゃないかな・・・

2~4才の自我の発達するときにてきとーにしていたら
もしかしたら思春期大荒れかもしれないし(実は私自身はその手かも)


そういうようなことを人に言われて気づくこともあるだろうけど、
そんな、「応援団」みたいな存在が、確かに少ない。
気軽に子育てのそういうのを相談できる人が、少ないってこともあるように思う。

いつもいつも見守れる、
はじめから見守れる、
そんなのできません!!

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できないことだから

自分にはできることでも、それができない人がいる。

なんでこうしないの?

そういうノリの人の日記(ブログとかね)を読んだりすると、
なんか非常に腹を立てている自分に気づく。

あんたにはできることでも、それができない人がいるんだ。
できないことが、できるようになっていくんだ。
特に子育てしてると、「できない自分」にたくさん出会って、
苦しくて、もがいて、辛くて、悲しくなるんだ。

それができるあんたの一言一言に、悔しいけど腹が立つ。

頭でわかってても、できないことってあるじゃんよ。


自分にもそういうところってあるんだよな、きっと。


私は先にいるよ、というありようもいいけど、
今の私は、「隣にいるよ」、という風にありたい。

うーん。
難しいけど。
誰に対しても、っていうのは難しいけど。

少なくとも、友達に対しては、「私は隣にいるよ」でありたいなあ・・・・


眠い眠い。
もちっとしゃんとしてるときに書こう・・・。

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ちょこっと白旗あげられた

良い気付きの連鎖中。最終的には胃の痛みが教えてくれました。

実家について、これまで水面下だった事柄が表面化しそうな気配があって、
それにともなって自分自身はそれについてホントのトコロどう思ってるの?
って、気持ちを整理しなきゃなあ・・・と考えてました。

それを思う度にちくちく胃が痛み始めて・・・。

そして気付けば生理が近くなってて、いつも以上に些細なことで子に自分の勝手な都合の怒りをぶつける日が続きました。

 なんで!? どうして!?
 なんで言ったとおりにやんないのよ!!
 なんであれだけ言ったのにやんないのよ!!
(いま思えば、ほんとに、まさしくこの言葉のとおりでしかなかった。わかってなかった私)
 
・・・ってね。

最近、こういう怒りは、
自分の中で、子自身に対してではない、他の何かに対しての激しい怒りだ、
ってことが本当に本当に良くわかってきてて、

だから子にその怒りをぶつけるのは本当に筋違いだ、と、
勝手にどなって罵っている最中に別の自分が冷静に感じています。
子を責めれば責めるほど、つじつまが合わなくなってくる。

怒りを感じることが辛くて辛くて、でも怒りが込み上げてくればぶつけずに入られない弱い自分。

そして怒りを感じる度に、胃が、ちりちりと痛み、
それを過ぎたら、怒りの手前のイライラを感じる度に胃がちりちりちくちくと痛くなってきました。

ある日、猛烈に痛くなって、体をかがめていなくてはならないほどに。

その日の昼も、めっちゃくちゃにどなりつけていました。
パンツの中でうんちして、お母さんにいったら怒られるからって自分で何とかしようとした結果、トイレ中が汚れていた時。頭の中真っ白になった次にはまたもや壮絶にどなりつけておりました。

いろんな人に電話で話を聞いてもらっている中で、腑に落ちない、なんだか意味が良くわからない言葉をもらったり、何それ?ってつい思っちゃうアドバイスもありました。

少し前に、心から信頼して話をたくさん聞いてもらってた人に、批判されたかのようなショックな一言を言われたことがありました。しばらくは話を聞いてもらおうという安心感を感じなくなっていたのだけど、やっぱり他に話せる人もいないし、正直にそのことも含めて話そうと思っていた矢先。

あまりに痛くて体がもうこれ以上耐えられなくなって、あちこち電話をかけてとにかく気持ちを吐き出しつづけ、最後にその人に電話をかけました。話している最中に頭は痛くなるわ熱は上がるわ。
体が悲鳴をあげていたのですなあ。もうこれ以上暴走できない!!って。
ショックだった一言について口にすると、続いてこんな言葉が出てきました。

「初めての子育てって大変だよね、わからないことばかりで、って言われるのも嫌だった。なんだか悔しかった。自分が”できない母親”って言われてるみたいで、もっとがんばらなくちゃいけないような気がして」

「別のある人に、”これまでは勉強もスポーツも仕事も、自分で努力すれば結果もついてきたかもしれないけど、子育てはそれが通用しない初めての体験なのでは?それを乗り越えることで、すごく成長できる機会に恵まれていると思うの”っていわれて、何通り一遍のこと言ってるんだ、って思った」

この電話で、もうひとつ気付いたのは、高校生の頃の自分の気持ち。
高校2年の時から母が入退院を繰り返していた時のこと。
学校帰りに母のいる病院へ行く時に、本当は、心細かった、って言うこと。
親が具合悪い、倒れて入院した、って、大騒ぎしたいような、しちゃいけないような気がしていたこと。
家族の役に立てる、自分が必要とされるチャンスとばかりに頑張りたくなる気持ちを感じちゃいけないような気もして、だからこそ大変だ大変だと騒ぐべきじゃない、なんて思っていたこと。

今、の私の気持ちと、高校生の頃の自分の気持ち、何にも関係ないような気がするけど、
これが後で、つながったのです。

私は、どうしたって思い通りにならない子供に対して、思い通りにならない現実に対して、とにかくいらいらしている。
何とかできるようになれ、と子供に詰め寄っても、現実はこちらが望むことができる訳無い(私の要求レベルが高すぎるし)2歳の子供。

私は、今まで、思い通りにならないと思うような現実に対して、自分の不安も感じないようにして頑張ってきたって言うこと。
元気だった母親が倒れて別人のようになってしまった時に、不安を感じない人なんているわけ無いのにね。
初めて取り組むことも失敗や間違いはあってはならない、くらいの気負いで何とかやってきてしまったということ。
しっかり、きちんとしなくちゃ、親戚の人たちが、親が、勉強が、成績が、仕事が、恋愛が、部活が・・・・
自分のもてる知恵や力や友人たちの助けや、時間、工夫して頭使って我慢して、何とかしてきた。
 だから、何も努力しようとしない人には怒りを感じ、それは時として子に対してもそう感じていたり。
 「こうじゃなくちゃいけないんだ」って自分で感じたところに子供がついてこないと、何でできないんだ、
 何とかそうならなくちゃならないんだ、って、両方の思い込みから怒り爆発。

そうかあ。
「初めての子育て大変ね」って言われる度に、私は他のお母さんとは違う、やれるはず、って思ってたんだろうなあ・・・。
私は初めてのことに今直面してるんだ。子育ては始めて、子供のいる生活なんて始めて。
そうだ、ああ、もう、認めるしかない。
私、出来てませーんって。初めてでーすって。新米でーすって。
いや、初めてです、とか、言ってたんだけど、「いまどきの新米母は」なんて言葉に対して、「私はいまどきじゃない。ちゃらちゃらしてない。お箸だってちゃんと持てる。私はきちんとしてる。」とか思っちゃってて。
これを、私、今の今まできっと認められなかったんだなあ・・・。
頑張ればいいってもんじゃない、と思ってた(る)し。

ああ、本当は、「自分は思い通りに出来てません、思い通りになりません」って、なんだ、どこかわかってなかったのかもなあ。納得できてなかったのかもなあ。

それに加えて、
「これまで人生を思い通りにしてきた人はいらいらしちゃうかもねー」なんて言われるのを、
まるで「これまで好き勝手に楽しく自分の人生をわがままに過ごしてきた人はねー」って感じていた。

そうではなく、
「苦しいこと辛いことも多かったけど、とにかく頑張って何とか乗越えてこられた=苦しいなりに自分の努力で決着つけてこられた」と気付いたことが本当に大きかった。

そうかあ。そういう意味では、これはどうにもならないんだよね・・・
人の気持ちは自分じゃ動かせないもんね。
そうだよね、子供は一人一人違うもんね。←これもやっと腑に落ちた

「子供ってわがままなもの」「子供って待てないもの」「子供ってその時々の感情で動くもの」
「子供って甘えることが必要なもの」「子供って何もできないところから一つ一つできるようになっていくもの」

なるほど・・・・・・。
親がどうこうしようとしても、無理なことってあるんだ・・・。
な、なるほど・・・・・・。
参った・・・降参・・・・。
これまで・・・・・・ほんとうにごめんなさい(><)

この大前提があると、「子供の気持ちを受け止める受け答えテクニック」とか「子供のやることを観察してみよう」とか、なるほど、それはいい考え方だなあ、と思える。
ああ、それはやってみようかな、とか。これまでは、そんなのできるわけ無いじゃん、誰がやってやるもんか。
って感じだったのが。

怒りの裏には悲しみがあります。あるといいます。

ここはまだもう少し何かの過程が必要な感じがするけど、
「あたしはこれまで、努力して努力して頑張って頑張って、頑張ってきたのに・・・・・(涙涙涙涙)」
というような深い大きな感情が、もしかしたら、あるのかもしれません。
確かに、初めての子育てで、思い通りにならないイライラ、大きい。
でも、このイライラの大きさ、激しさに、自分のこれまでのひたすらな感じ、とにかく頑張ってきたことの大きさを感じたりもするのです。
今はまだ自分の過去にあちこち散らばっているかもしれない傷が何なのかはっきりしないけど、
とにかく頑張ってきた、頑張ってこられた、努力すること頭使うことで乗り切ってきた、その結果大きく道をはずすことは無かった、失敗は無かった(いや、失敗だらけのような気がしてたんだけど・・・)こと、
そういう生きかたそのものがある意味傷を生み出している部分があったのかなあと。
傷、っていうより、弱さをはらんでいた、ってことなのかなあ。
そう、子育ての中で自分の弱点が見えてきてるんじゃないか、っていう言葉ももらってるし・・・。

あああ、また長くなっちゃった。
でもこの大前提が納得できて、なんでしょう、やっと、スタートラインかなあ?
いやいや、これまで頭でしかわからなかった、たくさんのいいこと、いいアドバイス、少しは染みてくるといいです。

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罪・・・。

罪・・・。

今朝、思いっきり坊ちゃんの顔をひっぱたいてしまいました。

どんなに言い訳しても、自分がそうせざるを得なかったなんて正当化しても、
さんざんののしって、言葉の暴力で痛めつけた上に力を振るってしまいました。

「いやだ!」
「できない!」
「だめ!」
「かえさない(かさない)!」

この辺りの言葉を連発されると、正気じゃなくなってくる・・・

自分に余裕の無い時、非常に危険。

ぶち切れてしまう状況を作り出す要因が、重ならないようにしたい。

そして、
ぶちきれて怒鳴るのは、今の私の頭にとっては、手っ取り早く苦しさから逃れる方法になっているのだと思う。

そう、苦しくて辛くなっているに違いない。
親の言うとおりにしないで平気でいるのをみると。
裏切られた、無視された、馬鹿にされた、っていう気分になってるのかな。
なんだろう。
やらなきゃならないことをやりなさいって、言っているだけなのだから。
だから、さらっとやらないほうがおかしい。って、思ってる。

怒鳴りまくってる時に、下を向いたままになったり、黙り込まれたり。
全然違うところ見てたり、遊び始めたり、笑い始めたり、逃げたり。
そんなことされると火に油を注がれたような状態。
絶対許せなくなる。

話は聞かなくちゃならない。
話してる私の前にいて、無視することは許さない。
聞かれたことにはこたえなくちゃならない。


そう思っている自分がいて、

だけど、

「これは明らかに、私は坊ちゃんに間違ったメッセージを送りつけている」
「自己主張とわがままは、全てイコールではない」
「私が怒鳴るのは、こっちの言い分が受け入れられなくて怒りがあるから。
伝わらない悔しさがあるから。」
「もっと言えば、泣くのを黙らせたいから」
「とうとう手を上げちゃってるのは、そして、後でその暴力をちらつかせて脅したりするのは、
とにかく一発で泣き喚かれている自体を収束したいから」

結局、怒りを感じてそれを坊ちゃんにぶつけてみても、ふっと冷静になったときに
「あなたは本当は悪くないんだ」と言ってみると、
心では、この怒りの感情を息子にぶつけるのは筋違い、ってことに気付く。
そうすると、なんで息子がいやだいやだって言ってるのか、彼がそういうようになった原因は
まさしく自分にもあることに気付かされてしまう。

全て自分に帰ってくる。

私がやってることは、虐待・・・。
文字にすると本当に本当に恐ろしい。
自分にどんな事情があれ、やってはならないことをやっている。

そういう部分が自分に確かにあるということの自覚。

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みんな、よくやってる。感性の源はどこ?

私が出会った母親仲間のみんな、それぞれがいろいろな経験をして、一生懸命人生を歩いてきた人たち。

生きていく上で傷つくことはたくさんあるけれど、本当にみんな(私も)傷ついて、でも何とか生きてきたんだなあ。

自分と、子供との関係の中で、自分のやっていること、言葉、自分自身を省みている。

子供といい関係を。

こう表現すると、私が感じたことが十分反映されていない気もするけれど、とにかく、今感じていることを、今日は残しておきたい。


ものすごーく、傷ついて、苦労して、育ってきて、
でも、自分自身が子供に対して発する言葉のなかに、「こんなこといったらいけない」「こんなこと言われたら傷つく」っていうことをちゃんと見ていて、そう、そのことに気付いている。

すごいことだなあと思った。
十分、「自分がされて嫌だったことは繰り返さない」っていうことを、実行しているんだなあ。

そのことに気付くことのできる感性は、どんなに傷ついても無くならなかったって言うことが、すばらしい。
そういう感性って、種をまいたらちゃんと芽が出るように、もともと備わって生まれてくるのだろうか。
それとも、忘れているだけで、覚えていないだけで、ちゃんと育ててくれた人が居るのだろうか、育ててくれた人が、与えてくれたのだろうか。

どっちにしても、
「このままだったら、私の子供、こんなダメな私みたいに育ってしまう」っていう嫌な悪循環の錯覚から覚めることができる。

とっても、勇気になる。

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ごめんね

怒鳴らない!って決心したのにねえ。

簡単に怒鳴りまくっています。
原因がはっきりわからない。

腹立ちます。あったまきます。
最近、私が怒って話してること、坊ちゃんが言ってたりして、ほんとに恥ずかしくなります・・・。

自分がよくないことしてるんだって、だらしなかったり、気持ちの切り替えができてなかったり、するのはわかっている。
いやいやいや、そうであってもいいんだけどさ(ほんとはもうちょっとしゃんと暮らしたいけども)

それを子供に邪魔されるって感じてたり、そのいらいらをぶつけたり、それで泣かれた時に勝手に自分が責められている気持ちになって逆切れして、泣くことを責めたりしている、

そのことが、

もうもう、本当にごめんね。坊ちゃん。

本当に本当に、坊ちゃんのこと大好きなのにね。
むかーし、お母さんが小さかった頃におかあさんにめっちゃくちゃひどく怒られた時の言葉と同じ言葉をぶつけているって、気が付いているんだ。

せめて夜、寝る時くらい、やさしい気持ちになりたいのにね。
母乳続けているくせに、いやあな顔してばっかり。
これじゃ、ちっとも安心できないよね。

ああああああ。ごめんね。

生理前、って言うのが久しぶりに来てるのかな?
いろいろ対策してみようかな?
ハーブティーとか、電話で話すとか・・・

何しろ、新しく住むおうちや引越しの日時、はっきりしなくてもういや。
やりたいことあるのに何からやろうか決められてないのもイライラの原因だよなあ。

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母乳育児

月に一度、世界的な組織である、とある母乳育児支援団体の集いに出ています。

本当に居心地がいい、この会の集い。
集いでは毎回テーマに沿って経験を話したり、感じたことを話したり、
それ以外に、いま母乳育児で困っていることなどを参加した人同士、聴きあったりしている集い。

迷うこと。辛いこと。困っていること。

たとえば、
母乳育児を止めようか。断乳しようか。
母乳出てないならミルクにするのがいいんだろうか。

迷った時や困った時、自分の中の本当の声に気付くよりも先に、
周りからの声が耳に入ってしまう。
しかも、「~したほうがいい」とか「~するものだ」とか「私は~だったわよ、あなたもそうしなさいよ」とか、
程度の差はあれ、なんだか強制力をもっていたりすることも多い。
人から言われたことには耳を傾けるべきだ、というような、これまでの人生で植え付けられている自分自身を縛る言葉もあったりすると、なお迷う。困る。

いわれたとおりに素直にしようと思えない時に、困る。
そうするしかないんだと思った時は、辛い。
我慢するしかないんだと選択肢がひとつしか知らない時は、本当に辛い。

トラブルがあったときに乗越える方法を知っていれば、母乳育児を続けようと思えることもある。
ミルクを足さなくても、母乳はほとんどの人が出るようになるんだと知っていれば、乗越えられることもある。

集いに出ていろいろな人の話を聞いて、自分も話していつも思うこと。

方法を知ることで、自分が本当に望むことがはっきりすることって、あるんだなあって言うこと。

母乳止めなくても、自分も責められないし子供にもよくないことはないんだ、って知ってれば、安心して母乳育児を続けられる。
子供が夜に頻繁に起きるのは母乳がすべて原因ではなく、いろいろな要因があるんだということを知れば、母乳を止めるということよりも、もっと効果的に問題を解決する方法を見つけられるかもしれない。

「私はこうしたい」「私は~したい」っていう、自然と思える気持ち、望み、
これらは、本当に、もともと私たちがもって生まれた、私たちに備わった、人間本来の向かっていく方向なんだなあ。

それが、本当に自然と湧き上がってくる素朴で消すことのできないものなのかどうか、っていうことは、
話を聴いたり、話をしたりしていくなかで、淘汰されてくるって言うか、
砂の中から砂金を洗い出して見つける作業に似ている気がする・・・やったことないんだけど。

そして、「自分はこうしていきたいんだ」って気付けたら、「どうやったらそれができるかな」って思える。
自分で選んでいくことができる。
自分が望んだことが現実になっていく。

母乳育児って、わたしがそういうことに気付いた一番初めのきっかけでした。
そして本日も、「私の中の声に耳を澄ます」「一つ一つ、迷って悩んで、選ぶことによって自分で決めて行く」
このことを目の当たりにしたのでした。

何かひとつにじっくりうちこんだり、向き合ったりすると、
今まで気付かなかったことに気付いたり、見えてきたりすることがあるけれど、
母乳育児を通して、しかもスタートでつまづいたからこそ、
自分自身が迷って悩んで困った末に、進む方向を選んでいくというやり方を学ぶことができました。
そして、迷って悩んで困っているその時に、母乳育児をしていたから感じていた自分の気持ちに、細かに気付くことができた。そういう部分が多かったと感じています。
そしてそれは、何より、実は子供を細かに見るチャンスを与えられていたんだということだと感じています。

もちろん、この団体のすべてがすべて、自分にとって納得できるものではないけれど、
自分自身の声に耳を澄ます、こんなことができる場や仲間をひとつじゃなく持ち得ている、与えられていることが、とてもうれしく、そして楽しかったのでした。

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