久しぶりにやっちまった

ここ数ヶ月、息子を叩くのは止めようって決めて、実行できてた。

それは、「私も昔、母親に叩かれていたんだ」ってはっきり認識してからだった。

もちろん虐待とかではないのだけれど、

頬をぱしーんと思いっきりやられたことが何度か、

頭をぶたれたことはたぶん何度も、

打たれたときの感覚が残っているのがなまなましいのだけれど・・・・

でも日常的にやられていたわけではなかったので、

誰かにこのことについて、聞いてもらう必要はないと思い込んでいた。

そして、私が息子を叩いてしまうのは、いけないとは思っていても、

我慢が出来なくなってしまっているからだって思っていた。

だけどいくら言うことを聞かないからといって、叩いて止めさせるという方法をとるって言うことを、

思いつくもんだろうかね。

今日、なんか雰囲気やばいぞという展開になった。

朝食後、娘が泣き始めた。

私は歯磨きをしていて、洗面所の壁の影にいたので、

居間の様子はわからない場所にいたとき。

最近の息子は私が見ていないとわかるといろいろなことをする。

たとえ居間にいようと、後ろを向いているとかほかの事に夢中になっているとか、

そんなときには何かしかやらかしてくれる。

「隠れて」「こっそり」が、もうこの上なく許せない。

追求したときに「隠して」「うそをつく」なんて、完全に地雷を踏まれた感じがする。

そして「うそをついていたことが明るみになる」と、ぶっちんと何かがきれてしまう。

そして問い詰め開始・・・

あまりの恐怖で当然息子は言葉が出せなくなり、

だけど怖いと感じているので、声が出てくる。

鼻をならすような、甘ったれたような声、

ここにどうもものすごい何か傷というか、ものすごいスイッチがあるようだと、

本日気付いた・・・・

あれだけ、頭の中では何度も叩く映像があっても実際の手は動かなかったのに、

言葉で、叩きのめしてやりたいほど腹が立つよ、ということでなんとか逃れていたのに、

今日は、ひっぱたいてやる!という気持ちをしっかり掴んで逃さずにしておけなかった。

手を離してしまって、息子にその気持ちが噛み付いていった。

私は二度も息子の顔を叩いて、しかも何度も突き飛ばし、何度か蹴っ飛ばしてしまった。

息子もちろん号泣。

今日の感情の嵐のすごさと言ったら、本当に凄くて、

完全に飲み込まれてしまって、波が引いた後の放心状態も長くて、

本当に久しぶりに一日棒に振ってしまった。

つまらないことだったの。いつもの通り。

娘の顔にちょっかい出して、つまり妹をちょこっと泣かしたんだな。

それを、「おかあさん、あーちゃん泣いてるー」と、勝手に泣いたみたいな言い方でなぜか報告してきたのだった。

妹たちが泣いていると教えるんだけど、(なんでかな)泣かしたのをなぜか報告・・・

それをを問い詰めたことから、やばい雰囲気になり始めたのだった・・・

仲直りは出来たのだけど、問題ばかりが残って・・・

土日、一人で息子+双子の娘と過ごすのは、無理なの。

ベビーシッターだって頼んだら双子の場合は大抵二人つきますって言われる。

プロがやる時だって二人必要なのに、ずっと一人だ。

いやずっとじゃないけどさ・・・

夕べから、明日どうしようどうしよう、どうやって過ごそうって頭を悩ませてた。

どうしたって、家にいたら息子の一挙手一投足に目が行って、

否定してしかって・・・というより、なんだかわかんないけど、

とにかく気に入らなくて、否定したくなる。

言い訳だけど、実際、ほんとにわずらわしい限りのことばかりしているように思えるのだけども・・・

わずらわしい、もーほんとにわずらわしい。

これ以上堂しろっていうのって思う。

朝昼晩とおやつ出すだけでいっぱいなんだけどなあ・・・

話しかけてこないでほしいんだよなあ・・・

話したくないんだもの、もううっとうしいんだもの、双子の乳児がいるだけで、

十分それだけで一日は過ぎていくんだ・・・・

私には、そこから解放しされて自由にならなくちゃいけない傷がある。

傷は私のせいではないけれど、確かに人を傷つけるパターンになってしまった傷がある。

わかっている以上は、それを他人にぶつけるやり方をやめるようにしたらいいんだ。

やっているつもりなんだけど。

でも傷つけちゃう。

毎日の出来事に、追いついていかない。

飲み込まれちゃう。

一気に振り出しに戻っちゃった感じがして、今日はかなり元気なくした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

しんどい

こちらの日記もずいぶん間が開いてしまった。

いつの間にかもう妊娠33週の真ん中。よく持っているなあと思う・・・。

多胎妊娠ってなかなか安心できる材料が少ない日々だなあとも思う。

安心させてもらえないというのが正直な感想、被害妄想ではなく。

実際いろいろと難しいことやリスクが高いのも本当のところだろうけど。

まず体がしんどい。この数日、毎日夕方吐いてしまう。胃が圧迫される妊娠後期のつわり状態ってこのことかあ・・・と実感。

寝返りがしんどい。

台所に立っているのがしんどい。シンクに対してまっすぐ立つのが難しい。お腹がつっかえるので(^^;

甘いもの食べると後味がとっても悪い。

そして精神的にしんどい・・・

いつ出るの~?今の破水?今の出血?ぎゃ~お腹ぎゅうぎゅうに張ってるよ(TT)

アア今日も無事に一日終わった・・・

アア今日も無事に朝が来た~・・・・

逆子なおるの~?なおらないの~?

そして息子との関係だぁ。

もう勘弁して!!!と毎日思う未熟な母。誰かに電話して聞いてもらえばいいのに、その電話の受話器をとるのが面倒、億劫。

全部に腹が立つ。

旦那がいる日の息子のわがまま?発散?聞いていられない。

なんなんだあの言いたい放題。

そんでなんで私には言われっぱなしで妙に神妙なんだよ。その態度の差がむかつく。

なぜむかつくのかといえば、

旦那には気を許していて、母の私に対してはおびえの感情しかないに違いないと自分で自分を断罪しているから。

で、結局、旦那に対しての態度が本音なんだべや、と思ってしまうのでさらに腹が立つ。

4歳児にひどいこと要求してるよなあと思うけど、

自分が小さいとき、こんなに言いたい放題やれたか?とか、

もう少し我慢してなかったか?とか思うとまったく腹立たしい。

子供っていいよなあ・・・なんかつったらすぐ抱っこしてもらって泣いて許してもらって何度も何度も間違うわ同じこと繰り返すわ反省しなくてもそんなもんだといってもらえるわ

気に入らないことはやらない、を貫いても許されるし
やりたくないからやらない、を貫いて許される

自分はすごいでしょ、すごいでしょ、上手でしょって あーもういい加減腹が立つわ。

言われたことしかやれないくせに、言われてもやらなくて、

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、

同じことを繰り返してるっつうのに、学習しやがれバカ。

言われないでもやれよボケ。

自分で考えて動けよ。

と、同じことをかつて同期入社の事務の女子にカリカリしていたことがあったなあ。

アア損な性格。

自分のどこかにふかーい傷があるんだろう。

それをものすごく刺激される上に気分転換できない状況。

自分の自由がどうしようもない物理的な理由で制限されてて、

そうなのだあ、普段以上にいろいろ制限されている中で再刺激を受けるのは本当につらい・・・

こんなときこそ聞きあうことが必要なんだけど

妊娠・出産のときっていろいろ感じやすくなっていたり思い出しやすくなっていたり、

なにか「放出」するのには本当に良い時期なのだそうな。

そうだそうだいい時期だからぜひともこの不満爆発を自分に対する再評価につなげたいもんだ・・・

いやーそれにしてもすべてが億劫

そして何の意味もない、というか何も生み出さない罪悪感にも襲われ、

さらにひどいのはこんな気分にさせる周り(息子とだんな)が悪いといいたくて仕方ない。

早くからだが軽くなってほしいと思うけど

そうなったらこの先20年くらい続く二人の娘との日々が今度は始まるわけだ、

いやー。

いやあー。

逃げたい・・・

頼むから静かにしてくれよよ。

三連休のこの三日、旦那のヘルプは真ん中一日だけ、

休ませろ~会社~、だんなを休ませろ~。

三人目生んだら何かドカンと補助出せ~。

二人の人間から三人生まれないと人口増えないんだぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

知ってること知らないこと

「知らない」ということは、責められないなあ、って思うことがある。

反面、

「知らない」ということを、責められることも、ある。

「知らない」ということを、責めたくなることもあるし、

「知ろうとしない」ということに、怒りを感じることもある。

「知ったかぶり」はものすごく嫌いで、行動を伴わないこともあまり好きではなくて、

「知ったかぶり」をしていて「知ろうとしない」人にやりきれなさを感じることがある。

そんなことを書いている自分も、「怖いから知った風なことを言い」「一歩を踏み出さず」「知ろうとしなかった」ことが、

これまでにたーーーーーーーーーーーーくさん、あった。

今でも時にはあると思う。

なんだか無性に腹が立って仕方なかったときに、

そうか、相手の人は「知らない」んだなと気付いたら、腹立たしさがなくなって

自分の中にバランスが

(ううう、これは日本語でなんと言うのでしょう つりあい?公平?)

戻ってきた感じがして、とてもすっきりした気分になった。

行動に移さないで実体験として知らない人が憶測や、

その時点で感じたことを言っている、書いているだけなんだと気付いたら

あの怒りや腹立たしさが小さくなった。

「知らないこと」は、時には本当に罪になったり

時代によっては命に関わる事態を招いたりしたけれど、

知ることができなかった、知る勇気を得られるように生きられなかった場合もあるんだろうなあって思う。

それは、責めてもどうしようもないなあと。

でも、「知ろうとする」ことは、出来ないのかな。

どうなんだろう。

知りたい、知ろうとする、気付きたい、気付こうとする、見たくない、見たい、

認めたくない、認めたい、

どちらを選ぶのかということは、どこで違ってくるんだろう。

私の中には、「気付こうとして欲しい」「知ろうとして欲しい」「見つめて欲しい」という、

他人様に対する期待があるのです。

期待すること、期待しないで信じること。

あきらめること、割り切ること、見切ること、見捨てること、突き放すこと、

そうではなく、信じる、

ううううううう、まだごちゃごちゃ・・・・

そんな頭の中の覚書というか走り書きみたいな日記ですが、残しておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かなり愚痴。

今日は毒吐きます。

えらく腹が立ってて仕方ない。

あームカつくったら!!

実家の親父だ。

双子を妊娠していて、頭から追い払っても追い払っても、産後の生活に不安が尽きない。

今は、気休めも、自分自身の経験だけからのアドバイスもまっぴらごめんで願いさげじゃ。

こんな風に考えてみれば?見たいなアドバイスもいらない。大きなお世話じゃ。

要するに、娘夫婦の生活にこれ以上関わるのはごめんだってことか?

私だって出来れば世話になんかなりたくないさ。

そっちはそっちでよろしくお金持ちで幸せに自適にやってりゃいいじゃねえか。

自分の人生を自分のパートナーとの暮らしのためだけに、自分自身の自己実現のためだけに費やせばいいだろボケ。

そうやってお前はずっと、自分自身の人生を自分の手に取り戻してからこの方、

他の誰のために使ってやることもなく、犠牲にすることもなくやってくんだろ?

そのくせ連絡をしないと機嫌悪いし だいたいその連絡だってお前自分でめったにとらねえだろが。

何様だバカ。

孫はかわいいだけの姿を見てればいいってか?

だから夏に息子を泊めてもらって世話してもらったのは特例中の特例だって、

こっちはどれだけありがたがって気を使わなくちゃならんのじゃ。

ほんっとに、なんだよ、実家の手を助けに借りるのって何でこんなにお伺い立てて気を遣って、何度も何度もお礼を言って向こうの感情をちゃんと受け止めてやって、って、

そこまで相手を立てなきゃならねえんだよ!?

あーーーーーーーーーー 腹立たしいっ

双子ですよ?悪いですか?孫が増えてうれしいより大変だまた借り出されるの気持ちのほうが強いですか?

管理入院の可能性も完全否定は出来ないし

帝王切開の可能性も否定できないし

低体重児で生まれる可能性も単体妊娠よりリスク高いし

早産だって多いって言うし

だから自分ひとりとか3人家族だけじゃどうにもならない出来事が大いに予想されるから相談したんだっつうの。

相談してわかりましたよぉ。

そりゃ初めから無理な相談でしたよね。

だって大体家が離れてるんだもん。

でもな?新幹線使ったり片道二時間かかるところにいる親の手を借りている人たちだって

山ほど世の中にはいるんだって!!

たとえば私が入院してどうにもならなくって手が足りないときに会社の仕事をちょっとだけ後にして手を貸すとかっていう発想がないのがえらくムカつく!!

何が何でも自分の会社優先だって言うのがムカつく!!

相手のある仕事だから、部下がいるから、多くの人に迷惑がかかるから、多大な金額が動く仕事だから、

冷静な私は全部承知だわ。

自分のために人生を生きてほしいって気持ちももちろんあるわ。

責任が重いっていうのも知ってるわ。

家族のために生きていいよという時代に育ったんじゃないのも知ってるし

「知らないだけ」だってこともよーく知ってるわ。

じゃあ期待しないかわりにもうこれ以上近づくのは止めたほうがいいわけ?

いやほんとに腹立つ。

自分は労力は一切出さないけどお金は出すからこれでなんとかしろって言ったもんね。

お金で解決するのが現実的じゃないかってね。

あーそーですか、いやその通りですよね。

でもなんだよその言い草。

しかもその前にはなんだ、「うちの近くに引越してくるって言うことでもないと助けてやれない」みたいなこと言って、

は?引越しですか?引越せっていうの?産後の世話になるためだけにか?

世話して欲しいなら近くに来いって言ったってことだ。

なんじゃその殿様な態度は。

お前がこっちに来ればいいだろーーーーーーーーーっ

えっらい腹立つ。

自分のエリアはなんとしても確保。自分がしんどい重いしてやるのはパス。

自分たちの生活はなんとしても確保。影響受けて変えるなんて論外、眼中になし。

おしつけボランティアか。バカ。

自分の子供が生まれた時だって

お前のかみさんは実家にいたわけだから、そういう手のことは何も心配なかったんだよな。

だからほとんど何も手を貸さず心も砕かず、産後が大変だっていうのを知らないでそのまま来たんだもんな。

人として間違ってますよ?

それで社長とかいってんの?相変わらず?ほんとに間違ってるよ、学ぶところが。

子供がかんしゃく起こしたり機嫌悪く泣いただけで変なものを見るような目つきで眺めたり、

なんなのさ、ほんともう関わりたくなくなってきた。

産後や、入院したとき。ほんとに助けが必要でどうしたらいいかって思ってるんだけど。

と言ったら、「近くに引越してくるとかだったらできることもあるかもしれないけどな」

????それは無理だよ?

「であればお金で解決するのが現実的じゃないか」

要するに、助けられないってことね?私がこうして欲しいってことは受けれいれられないってことね?

「平日は無理なのはわかるけど、土日とか・・・」と言い掛けたら、

「それも限度がある いつも気にかけてるし心配してる」

「できることはやってあげるよ できる範囲でなら協力して挙げられるよ」

出たな。

できることは。

だから!!

なんでこれまで助けをあんまり求めたことがない私が!!

なんでこんな話をしてるのかって!!

考えたことあるわけ?

そ れ だ け 大 変 な 場 面 に 遭 遇 し て る ん で す け ど ?

命 に 関 わ る こ と な ん で す け ど ?

また孫が落ち着いてかわいいくらいになったときだけ関わるつもり?

手を出さない代わりに、そりゃ口もめったに出さないよ。

私の親父は。

だから我慢しろって。現実を見て受け入れてその中で出来る範囲でやってけっていうのさ。

いつも。

母がなくなってからずっとそうだ。

そんなに迷惑かけたことないはずだけど?

警察につかまったこともなければ学校に呼び出されたこともないし

変な男にひっかかって心配かけたこともないし

心配くらいは普通にかけただろうけど 別にそれで特に時間を割いたことなんて対してないはずだ

二度ほど 夜中に車を出してもらったことがあるけど

一度は熱出して病院に連れてってもらって

一度は深夜12時過ぎに遠く離れた駅まで迎えに来てもらった

でもそれだけじゃん!!

結婚式もほとんど手を煩わせなかったはず

引越してうちを出るときも自分で手配しました

高校卒業して一人暮らし始めるときもひとりで引越しましたよ?

後から様子見に来たけど

就職も自分で決めました 

親に感謝するべきことが山ほどあるのは頭ではわかっているけど

今はこの毒を吐き出すのが先

そうしないと積もり積もってもっとイヤな感情を抱えて出産になる

だけど今すぐ素直に「育ててくれてありがとう」なんて誰が言ってやるもんか

あ~腹立たしいっ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

挑戦

久しぶりの更新。

その間に私は懐妊。

なんと双子。二卵性。

そりゃもう焦った。

へこんだ。自分は器じゃないって。

「なんでこの人のところに双子が授かるのかしら~っ  て言う人のところに、
なぜか来たりするのよね~」

って言われて、ががががーん、とショック受けていた。

息子は4歳を過ぎて、物分りも多少良くなり、まあ反面、元気一杯超自己主張しているけれど、

本当に大変な時期は過ぎたような気がしていた。

そして、私も少しは生長したような気がしていた。

ひそかな自信?傲慢?があったのかなあ、と今は思うけど・・・

実態はどうかって言ったら、

その超自己主張を、超エゴ&言葉の暴力で叩きのめす毎日なのだもの・・・

私の息子よりはるかに暴れん坊将軍、まさに将軍な息子をお持ちの方もいるし、

言葉や本当の暴力で叩きのめさずにうまーくやっている方もいるし、

どっちにしても、

子に付き合うことの出来るお母さん、

子に振り回されるお母さん、

なんだけど、

最近、それが本当に凄いなあ、えらいなあ、良くやってるなあって思う。

私なんかは、この要求を自分が気に入らないと突っぱねて受け入れないで、

それがまるで親の権威とかプライドみたいに思っているところがある。

駄々こねながらあれやってこれやってって言う子を見るのは苦手。

凄く腹が立つから。

それを、はいはい、といいながら相手をしたり要求を満たしたり、

とにかくうんうんと肯定しながらその場を乗り越える(しのぐ、かなあ)お母さん、

当たり前なのかもしれない?

甘やかしてるのかもしれない?

私はつい、甘やかしてるって思っちゃって、親の言うとおりにさせようとして、

実際そうしちゃっている。

ここんとこが・・・・・

親を選んでいるって言うか・・・

それを必死になりながら、悔しい思いもしながらなんとか受け入れたりやり過ごしたりできる人のところに、

暴れん坊将軍なお子がやってくるんじゃないかと思っちゃう・・・

多少物分りが良くて、

家においておいても、外で遊びたいと飛び出すことはない私の息子。

集中したら家の中でも、そりゃあ家の中はえらいことになるけど、

いろいろ工夫しておとなしく(?)遊んでしまえる息子。

そういう風に、超やんちゃ暴れん坊のお子さんじゃないでしょ?あなたのとこは、

とよく言われたもんだ。

は?何か悪いですか?

親のキャパ小さくて悪かったですね!!!!と逆切れの一つもしてやりたくもなったものだ・・・

でも人生の大事件的に考えれば、そこで多少物分りの良い子を授かったっていいじゃんよ!!といいたい気持ちもある・・・
しかも男の子だし・・・

さすがに女の子とは違って力も強いし、いってもわかんないし・・・

私だって私なりに苦労してるもん!!といいたいのです。

それでこのたびの双子の懐妊・・・。

ひそかに、もうすっかり落ち着いたわ、「出来る」母だわ、ってどっかで思ってたのかも。

多少はたくましくなったのよ、私だって、って思っていたのだもの~(><)

それが、「まだまだ全然よっ」といわれたようなもんで。

あー悔しい。悔しい~~!!!!

それが、双子妊娠と分娩のリスクを聞かされてビビッて不安になったのと

あいまって、

なんだかとっても落ち込んでいたのだった。

けれど、もう一つ、書き散らかしている日記に、とある人からコメントをもらって、

とっても気持ちが楽になった、素直な感じになった。

人生は挑戦の連続だね、って、コメントだったのだけど。

すっかり忘れていた。

それは息子が4歳にもなって、多少なりとも安定した日々を送っていたからかもしれないね。

人生に「はじめて」は尽きないものだ。

「挑戦」

と思ったら、何にも苦しくなくなった。

素直に、そうか、がんばろうなんて思っちゃった。

私は「何でこの人のところに~」と言った人になんか反発と認められたい、認めさせたい気持ちを感じていたんだよね。

なぜかそんなことも思った。

挑戦。

少し上のほうに視線が変わって、これからそこに行けばいいんだ、と思った。

挑戦、といえばやはりインカレの思い出。

学生時代にオリエンテーリングで学生選手権に向けて走っていた頃。

本当はぜんっぜん、走れてなかったんだけど。

だって一月に一番走った頃で、たったの90km。

私にしては、卒業研究、バイト、オリエンテーリング、とよくがんばったと思っているけど。

日程が決まっていて、予選があって、トレーニングして地図読みして、大会でて・・・

走ることについて友達といっぱい語り合って、

なんだかそんなことを思い出す。

結果は伴わなかったんだけどね(笑)

挑戦、自分が出来ないことに向かって努力する?努力かなあ、

自分にとって、今の時点では出来なさそうに思えることに向けて、

そのことが出来るように練習したり?工夫したり?準備したり?

なんだろうなあ、気持ちが、「今の自分には無理そうなこと」から逃げなくなった、

そのことに、素直に向かっていこうと気持ちが向いた、という感じ。

なんてラクなんでしょう。

だって挑戦者でいればいいんだもの。

今出来てなくていいってことだもの~~♪

しかも、必ず「その時」が来るって、なんだか分かった。

本当は、「無理そうなこと」っていうより、「実現可能なこと」っていう風に思えたりもした。

スタートの瞬間は、必ず来るし、ゴールは必ず来る。

レースは必ず、どんな形でも終わってきた。

ついでに言うと、どんなに辛い年度末の仕事も、必ず終わった(大笑)。

子育ても、始まりがあれば、必ず何らかの節目があるんだろう。

終わりがあるのかどうかは分からないけど。

でも、レース、コースを走ることに対して不安を感じているのと、

自分は、ちゃんとオリエンテーリングして帰ってこられると自然と思えるのとでは違っていた。

後者のようなありようを、きっと、「自信がある」って言うんだと思った。

自信があるというと、傲慢な、思い上がりみたいなイメージを持つけど、そうじゃなくて、

自分のすることに対して不安がないことを自信があるというか、

肯定できているというような気がする。

挑戦、という言葉を思い出した後は、コースについてまったく想像もつかない、

不安だらけでレースをしていたときとは違う、

「スタートすれば、走る(オリエンテーリングする)だけ」っていう気持ちになっている。

スタートすれば、後は自然にオリエンテーリングする・・・

地図読んで、コンパスで方向を確認してこれからどう進もうか、

この道を通って、このピークを過ぎた鞍部からコンパスをふって沢を降りる・・・

この傾斜変換点から、尾根のしっぽを掠めて、植生界の角へ・・・

って、自然とその中に入り込んでいけた時期があった。

今度、おなかの子達と会えたら、そんな風に自然に生活していきたいなあ。

途中、自分のいる場所が分からなくなることもあるかもしれないね。

いや、なるべくならそこまでの状況は避けたいけれど・・・

もしもそうなったら、もう、救護所にヘルプ求めればいいんだし(あはははは)。

どうやってでも、ゴールには、みんなのいるところには帰ってこられるんだから。

オリエンテーリングでもそうだったけど、スタートできるように、体調整えよう。

3年生のインカレは、個人戦、とにかく、スタートしよう、スタート地点に立とう、ってずっと思ってた。

すさまじく精神状態が悪くて、どろどろの依存だったレンアイに疲れきってて、

とにかく、あのスタートに立ちたい、スタートしたい、っていう気持ちが強かった。

スタートしてしまえれば、後は思う存分、集中して、実行するだけ・・・

そこにたどり着くまでのその日その日が、きっとあの時は辛かったんだろうなあ。

そこまで辛いかどうか・・・今いる息子への自分の接し方を思うと、確かに辛い。

あの頃と似てるなあ。

螺旋階段かしら(笑)

螺旋階段は同じところに戻っているように見えて、高く上っている階段だから、

当時よりは賢くなっているって信じよう。

13年前の私とは違う。

はじめて出産した4年前とも違う。

追われるより追うほうが、ラクに決まってる。

挑戦する、ある意味謙虚になるってすとんと腑に落ちただけでこんなに気分が違うんだな。

前向きって気持ちいいなあ(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

解放された感情

ホメオパシーについて、セルフケアの限界を超えて普通のお医者さんにかかった、という記事を書いたばかりなのだけど、

遅れてきた?感情的な波を感じてしまった。

今日は(もう昨日だ)、息子の幼稚園の友達とそのお母さんと遊んできたんだけど、

なんだかもう一杯いろんなこと感じてしまった自分がいた。

久しぶり。

苦しい感じで一杯だった。

メールでセッションしてみたら、あふれるように感情が・・・

裏表のある話題が、どうにも苦手に感じる。

平たく言えば、あの人はどーのこーの、とか、その場にいない人を責める話題。

自分だって、これまでそういう話題で盛り上がってお酒も飲んできたけど、

なんか最近、すごく苦しく感じる。いたたまれない。

責めてどうなるんだろうと感じてしまう。

責めたい気持ちはとてもよくわかる。もし自分がその人のことでとても悲しい思いをしたり、大事な子供が傷ついたら、責めたくなる。

だけど話を聞いていけば、話題に上がっている人がどんなに苦しいか、なんてことを感じてしまって。

「なんなの?」な雰囲気ムンムンで場は進んでいったのだけど、

そうやって「責任取んなさいよ」と責める口調で言い続ける人も、きっと傷ついてきたんだろうと、傷が最刺激されているんだろうと、

いや~~~~ そんな事感じるようになってんのか あたしゃ~~~。

当事者じゃないからこんなのんきなこと言えてるのかも知れませんが。

皆別々に、責めたいくらい傷ついた腹が立ったがっかりしたことを安全に吐き出せればいいのになあってほんと~に思う。

そんなことが苦しく思われ、

新しい人とのつながりの中に飛び込んでいった今日は、

自分で自覚している以上に不安や緊張があったのかも知れず、

これまでの自分にしがみつきたくなったような。

好きなものを感じて、自分の中に安心して自分を取り戻したいような。

なんて感じていたら、ぶわっと「怖い!!」という感情が噴きだして、涙がだばだばこぼれてきた。

心細い、こわい、守って欲しい、すがりつきたい。

こうして文章を綴っている今でも、その怖い気持ちや、守って欲しい気持ちがリアルに感じられてしまう。

息子が幼稚園に入園したことで何か再刺激かしら。

じっさいの息子はどうかというと、なんかとってもうまくやってる。

順調に元気に楽しそう。

親が言うのもなんだが、いろいろとうまくやれている。

なんかそれが、そういうことを聞くたびに逆に不安になってたりする。

物覚えがいいとかいろんなこと覚えてるとか知ってるとか、すぐにできるとか。

いいことなの。心配なくて、贅沢な悩み。

しかしそこに重なるのは、やっぱり小さい頃の自分。

似たところを思い出して重ねているんだろうけど。

不安がよみがえったのかもしれないね。

今日はそんな心当たりのあるレメディーは取ってないけど、

ここのところ、いろーんなの摂ったから、遅れてきたかなあ。

セッションでもめちゃくちゃ泣けてしまうけど、あの突発的な抗いようのない涙はレメディかなあとも思ったり。

いずれにしても、昔の感情が出てくるっていうことはあるわけで、

感じたものを、感じなかった振りをしたり、感じなかったことにして押し込めても、

なかったことには出来ないんだよなあって今日も思ってしまった。

幸運なことに、ひとしきり泣いたら、その部分ばかりを気に病むような心の動きは、なくなった。

明日またセッションしたいなあ。

息子よごめんよ。君を見ているといろいろ思い出したりするんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

取り越し苦労でした

心配しすぎでした。

でもさ、やっぱり、連絡もらったら「返事」してほしいよ。

「了解 また後で連絡するね」とかでもいいからさ~

なんだっけ

「返事」と「責任」って、語源が一緒とか?英語では。違ったっけ?

それをむかしどこかで知ってからは、とにかく返事はしようと思ったのだ。

いま応えられないよーって返事でも、

読んだよーっていう返事でも

聴いてるよーでもさ。

しかし気づいてしまった。

今回のことも、

「連絡が来なくて私は困っている」

「頼みたいことがあるから、引き受けてもらえるかどうか知りたい」

って、事実を、伝えればよかったんだよね。

そこにアヤシイ感情が入り込んだ。

えっ?えっ?何か気を悪くさせた?
メールの書き方悪かった?
頼まれたくなかった?
うざーいっ て思われた?

いや、知らん。
本当のところどう思ったのかなんか、わからん。
そう思ってたかもしれないし、
彼女から来るメールの文章は苦手だよ。

とにかく、「引き受けるよ!なかなか返事できなくてごめんね」
たったこれだけの文字数で済んでしまった・・・
よかったよかった。
心配事が片ついてよかったよかった。

その裏に潜む、私の「自分を責めるパターン」「相手の感情の責任を取ろうとするパターン」を感じてしまった。


わかったからいいや。


それにしてもそれにしてもそれにしてもだ。

私はやっぱり返事をしたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

皆、同じスタート

みんなスタートは同じなのに。


息子が幼稚園入園。今日から登園開始。

昨日は公園で、同じ幼稚園に行くお母さんたちとおしゃべりができた。

そりゃもう驚いた。


私はかなり不安を感じている。
息子のことはさほど心配してないのだけど、
新しく、いわゆる「ママ友」づきあいをまた一から始めるのかと思うと
相当面倒くさいなって感じているから。

入園した幼稚園は、のんびりで地味な感じ。
それが気に入ってるけど、

「幼稚園は楽しいところです」
「配布物にはよく目を通して、忘れ物などないように」
ということを再三耳にしたり、

さまざまな行事や確認事項がずら~~っと書かれた予定表を見ると、

息子はおろか自分の生活が幼稚園にのっとられそうな気がしてきて、
むやみに不安になっていた。

自分の好きなことは好きでいたいし、
確かに生活の大部分を占めることになるだろうけど、
それだけで染まりきってしまいたくないんだ。

朝の登園前の家でのばたばたや、
夜早く寝かしつけるためのあたふたや、
親同士の付き合いや。

不安でもやもやしてたんだけど、

公園で話したほかのお母さんたちの、より具体的で
先取りした不安や気になる話題に、
ほんっとに圧倒されてしまって、笑い出してしまったほどだった・・・

先生はどんな人、
同じクラスに誰がいる、
役員やお手伝いはどれがラク?
お弁当はどんな風?

そりゃあ、私も情報はほしいし、気になる話題ではあるけど・・・

先生なんて、入園式一日しか会ってないわけだし。

同じクラスに、知ってる人がいるほうがラッキーだと思ってるし。
だって去年引越してきたわけで、ここが地元じゃないし。
皆知らない人なのが当たり前だと思ってて、

役員?めんどくさいけどもしも当たったら、それこそ気の会う仲間を見つけるチャンス?
とかさ、
そんなに手間をかけるとか面倒なのがいやなの?
ああ、下に赤ちゃんがいるからか。とかとか。

お弁当、「食べられるものを入れてくださいって言うから、そうしたら、
(揚げ物やお肉ばかりで)茶色いお弁当になったって話聞いた~」
そしてその後は自分の子の話ばかり、
うーん、ほとんど人の話聞いてなくないか?


でもこうやって、皆ストレスや不安を吐き出しているんだろうな。
そして、とにかく一人孤立状態はコワイものね。
孤独を感じるのは怖いものね。

↑こんなこと感じると、一体、何がそんなに不安にさせているんだろうね、と思う。
お母さんたちが悪いんじゃない。
不安なだけだものね。

でも、私から見たら、凄く情報を先取りして収集している人がいて、
情報は大事かもしれないけど、
わからない先を見ようとしたら余計不安になったり、心の重荷になったりしないかなあと。
カレンダーは便利だけど、これがあるばっかりに、
ほんとにあるのかどうかわからない、
ただ皆で約束しあった「来月」だの「○○月」だのの、
未だ起きていない失敗やら不安やらをココロで実演しているような気がしちゃって。

いやいやいや、私だって、その一人です。
でもその不安がいやだから、なるべく考えすぎないようにして
入園を迎えたんだけど・・・

そんなわけで、情報量と、不安に逆にビビッて帰ってきたのですが。
ああ、引越しを経てずいぶん私も落ち着いたんだなあと思ったりもしたかな・・・
とにかく、知り合いがいないのが当然、と思えていたのはほんとに良かったかも。
これからだ、と思えてると過剰にドキドキしなくてすむので・・・

うううううーん、でもこんなだから、昔から周りの「ノリ」についていけてないのかもなあ。
だって、ドキドキする、気になる気になる、って騒いでよかったんだもの。
しかし、反面、そこまで気にしてなかったのも本当に事実だって言うことも、
しっかり自覚してしまった。

いやー、どうなるんだろう。

そんなこんなも含めて、皆同じスタートなんだものね。

本日初登園。
ニコニコして、ちらりと私を気にしていたけど、先生や他の子たちに囲まれて、
幼稚園の教室前に座っていた息子君よ。
あっけないけどこんなんでいいのだろうかね。
まあ、しばらくたってから「行きたくなーい」なんてあるかもしれないしね。

どっちにしても心配は尽きないのね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人から見た自分

もう一つのほうの日記で、友達が、「私のことどう感じて付き合ってくれてますか」と書いていたので、正直に書いてみた。
「近づきたいと思っていたよ、仲良くなりたいと思っています」

で、「では私のことはどう感じてる?」と思い切って書いてみたら、
私に対する印象を書いてくれた。


いや~~~。

どうにも逃げられない。やっぱりそうかあ、ってその一言に尽きる。
でもどうなの??それって、っていう感じ。

真面目、純粋、よく考える、まっすぐ。


それってどうなのおおおおお


もうすぐ誕生日ですけど、
年齢も三十代に入って数年立ちます、

こういう年齢で「純粋」って言われて、なんかこう、

がっくり

なんだなあ~


深く考える、って言われれば、普段感じていることってやっぱり考えすぎなのかなあって
また否定の循環に引き込まれそうで。

いや、違うパターンで考えてみよう。

そうそう、そうなの、アンテナの感度いつも良好だからさっ(^^)
いろんないいことや自分の気持ちを正直に感じて生きてるよ~。

・・・・・・で、いいじゃないか。

なんでかなあ~

真面目だね、よく考えるね、の後に、
「私はそこまでじゃないんだけどね」っていう相手のコメントがつくと、
がっくりくるんだな。

いろいろな物事を気にしてそれらをよく考える私ですが

真面目だね、深く考えるね→いろんなことに気がついて、いろいろなことを感じる人なんだね

と言い換えていただけるととってもうれしいかも。

「私はそこまでじゃないんだけど、きっといろいろ感じてるから思いがめぐるんだね」
なんていっていただけると最高。


・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・

んんん~でも~
「生真面目」って、堅苦しくて、そうそう、「お堅く」、融通が利かない、
話がわからない、つまらない、(なぜか)お高い、
なんてイメージを伴っていそうで、
なんかやっぱりやだなあ。

葛藤するなあ。

日記書き始めてからいろいろな人からの自分の印象を知る機会を得たけど、
大体みなさん、遠からず同じようなことを感じておられるようなのだ。
今日は、
「う~ん、やあっぱりそうなのかあ。
でもきっとそれがいいところなんだろうなあ」って
ちょっと白旗気分だったのが、良かったかな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

感じても大丈夫 2

「感じても大丈夫」って日記を書いてからまだ数日なのに、
このとき書いた内容がさらに自分の中で修正・発展してしまいました。

絶望や孤独や無力感は確かにあるんだなって。
好ましい状況じゃないってこと、
生活が脅かされるような政治が展開されてる国なんだなってことを、
辛くても知ることは必要だなあと。

切望間無力感を感じる必要はない、んじゃなくて、
怖いから感じないように逃げているんじゃなくて、
感じても、不思議じゃないんだ、ってことでした。
感じても、良いんだってことでした。
むしろ、感じられる感性が大事なんじゃないかな、とか。

感じたその先に、
「でも、こんな風にやれることがある」とか
「こんなことからはじめられる」とか
小さくても確かな希望を忘れない、見つける、共有する、って
できたらいいのかなって。

大変なことは確かにある。
ちょっと考えても、思考が停止してしまうような問題もたくさん。
どうしたらいいかわからないって混乱に陥ったり。

その怖さや辛さを、避けずに、感じていいというか、
怖くても、感じても大丈夫なんだよ、っていうことを、思ったのでした。

あー、かけてすっきりした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧