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知ってること知らないこと

「知らない」ということは、責められないなあ、って思うことがある。

反面、

「知らない」ということを、責められることも、ある。

「知らない」ということを、責めたくなることもあるし、

「知ろうとしない」ということに、怒りを感じることもある。

「知ったかぶり」はものすごく嫌いで、行動を伴わないこともあまり好きではなくて、

「知ったかぶり」をしていて「知ろうとしない」人にやりきれなさを感じることがある。

そんなことを書いている自分も、「怖いから知った風なことを言い」「一歩を踏み出さず」「知ろうとしなかった」ことが、

これまでにたーーーーーーーーーーーーくさん、あった。

今でも時にはあると思う。

なんだか無性に腹が立って仕方なかったときに、

そうか、相手の人は「知らない」んだなと気付いたら、腹立たしさがなくなって

自分の中にバランスが

(ううう、これは日本語でなんと言うのでしょう つりあい?公平?)

戻ってきた感じがして、とてもすっきりした気分になった。

行動に移さないで実体験として知らない人が憶測や、

その時点で感じたことを言っている、書いているだけなんだと気付いたら

あの怒りや腹立たしさが小さくなった。

「知らないこと」は、時には本当に罪になったり

時代によっては命に関わる事態を招いたりしたけれど、

知ることができなかった、知る勇気を得られるように生きられなかった場合もあるんだろうなあって思う。

それは、責めてもどうしようもないなあと。

でも、「知ろうとする」ことは、出来ないのかな。

どうなんだろう。

知りたい、知ろうとする、気付きたい、気付こうとする、見たくない、見たい、

認めたくない、認めたい、

どちらを選ぶのかということは、どこで違ってくるんだろう。

私の中には、「気付こうとして欲しい」「知ろうとして欲しい」「見つめて欲しい」という、

他人様に対する期待があるのです。

期待すること、期待しないで信じること。

あきらめること、割り切ること、見切ること、見捨てること、突き放すこと、

そうではなく、信じる、

ううううううう、まだごちゃごちゃ・・・・

そんな頭の中の覚書というか走り書きみたいな日記ですが、残しておきます。

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